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アラフォー独身、汚部屋と格闘中

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あの日から、1年が流れ、汚部屋の片付けも進まないままで、
だけども、変わったと云えることは、ニートでは無くなったと言う事だ。
昨年の、3度の心筋症は、もう死ぬんだと思ったし、
それでも、生きているのは、生かされているのだと思う。

日記の更新が出来なくなったのは、やっぱり、辛かったのだと思うし、
ニートではなくなり、生かされているために、それどころではなかったことも事実にあると思う。
生活苦は相変わらずで、ブロ友さんに言われた、
「お金に余裕がなければ、自由に動けない気がする」
この言葉を、常に思いながらも、自ら首を絞めることは数知れず・・・・

生かされているくせに、生き方が、誰よりもへたっぴで、
馬鹿な女の代表と言っても良いと思う。
恋愛がそこにあっても、したい気持ちにはなれなくて、
好意を持ってくれている気がする男性に、お誘いを受けても、ときめきの気持ちなんて、
とんでもなく生まれることもなく、恋なんて、するものではなくて、落ちるものだから。

なんて、格好良いことをつぶやいてみても、
「独身主義なんですか?」
「一度も結婚の経験は無いのですか?」
「高望みしているとか?普通が一番ですよ?」
と、エンドレスに質問されてしまうと、なんだか、自分を否定されている気持ちにもなり、
『いや~、出会いがなくってぇ~』と、笑って言ってはみても、
心の中で、こいつ、転んじゃえばいいのに・・・と、毒づいてる自分に気がつくと、
やっぱり、傷ついているんだと思う。

今年、父(叔父)が、重篤の病気の為、国立の病院に入院しているので、
お見舞いと、身内の四十九日法要に参列した際、
遠い親戚たちは、「いい人はおるの?」と、直球で聞きやがるのに、
血の繋がっている身内は、誰も、結婚や恋愛の話は聞かなくて、
つうか、聞いちゃいけないみたいな空気で、
4日ほど、一緒に過ごしたのに、マジで、誰にも聞かれなかったことに、
なんか、気を遣わせちゃってる?
ていう、空気にも傷ついた。
20代半ばあたりのときは、みんな聞いてきたのになぁ。

つまりは、聞かれても嫌な思いをし、全くもって、聞いたら駄目だ。
の感じにも嫌な思いをして、中間はないのかね?と、我侭女は、ため息をつく。

今年の夏も、父に会いに行こう、そう思いつつ、
その時は、父は話せるようになっていると思うので、
父の恋愛話でも、御口授を承りながら、孫の顔を見せられないけど、ごめん。
なんて、自分から言ってみようと思う。
自分から言ったほうが、なんか、すっきりとした気がする。
怒るだろうか?笑うだろうか?ただ、いつものように、寡黙に黙っているだけだろうか?

四十九日にあたる、その当事者は、わたしは、大嫌いな人で、
兄(従兄)のお嫁さんで、連れ子を連れてお嫁に来た人で、わたしを追い出した人だった。
当時、わたしは、この家に住んでいた。
連れ子の少女は、大好きだった。
一回りも離れていて、少女は小学生だったけど、本当に仲良しで、
お金持ちの家から、訳も分からず、この家に来てこられ、
いつもいつも、大人に気を遣い、いつもいつも、無理に笑い、悲しいときほど微笑んだ。
そして、いつもいつも、一人でポツンとしていては、枯れそうな植物に水をやっていた。
わたしは、少女が大好きだったから、
彼女が、わたしを嫌い、嫌がらせをしても、ある程度は我慢をしていた。
ここには、書けないくらいの嫌がらせの数々は、商売をやっていた為、
従業員の殆どが、知ることになっても、彼女の嫌がらせは終わりを迎えることはなかった。

もう、無理だ・・・この家を出よう。。。
そう思ってから、4年後、実の母の病気でお邪魔してからは、1度も帰ることはなかった。

そう、彼女が、死ぬまでは。

あれから、十数年の月日が流れ去り、通夜にも参列することはなかった。

彼女が亡くなった当日、連絡が来て、すぐにチケットの手配をしたのだが、
密葬にするから、来ないで欲しい。そう言われてしまって、
あの家で、実の親を亡くした少女が、どのように暮らしているのか、
それだけが、気になっていた。
気にはなっていても、父の病気見舞いが重ならなければ、
四十九日さえ参加していたとは思えない。

夜遅くに家に着いて、母(叔母)は、泊り込みで看病していたので、朝方になり、帰宅してきた。
父が休んでいた場所は、母が休む場所に変わっていた。
そして、わたしが休む場所は、本当は、母が休んでいる場所のはずだった。
わたしのために、新しく用意された布団広げ、父の入院で、母は、父の場所で休み、
わたしの場所は、本当なら、母が休む場所だと思いながら、
母が目にする天井を見つめ、数時間後には、病院から戻る母を思い、浅い眠りにまどろんだ。

朝になり、いつものように、インスタントのコーヒーに牛乳を入れて、
ぼんやりと、トーストをかじっていた。
いつもの朝なのに、風景が違う。
舞い散る、桜を見ながら、わたしは、帰ってきたんだ。そう実感することができた。
父が自らの手で作った、この家は山の天辺にあり、
室内からは、座った場所の真正面に、壁一面の大きな窓がある。
そこから、大きな桜の木が、斜めに聳え立っている。
日本人、大和魂を受けついだ、父の力作だ。
実写の日本画を見られるのは、我が家だけだ。と、はっきりと云える。

法要のため、のんびりとしていられなくて、
隣室で身支度をしていると、母が帰宅したらしい気配を感じた。
すぐに立ち上がり、ドアを開けてから、70歳を過ぎた母の背中を捕らえた。
大きなリビングには、母の背中はとても小さく見え、胸をうった。

『お母さん・・・』後ろから、声をかけた。
母は咄嗟に振り向いて、
おぼつかなくゆっくりと両手広げ、ゆらゆらと歩き近づいて、ぽろぽろと泣いた。
母は、ただ、「もう、もう・・・」そう言っている。
広げた両手は、わたしの顔を包みながら、わたしも、母の小さな肩に手を回した。
母は泣きながら、声にはならず、わたしの名前を呼ぶだけのこの人が、
わたしの大切な人なんだと、心からそう思った。

■つづく・・・

お久しぶりですが、みなさん、お元気ですか?

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